日本でも五臓六腑という言葉を使いますが、
主に内臓や体の中というニュアンスで用いられています。
これは東洋医療の考え方でも同様で、
五臓とは心、肝、牌、腎、肺の5つを指し、
六腑は胆、胃、大腸、小腸、膀胱、三焦のことです。
ここでは厳密な解釈よりも全体像の理解を優先させるため、
ざっくりとした分け方をしておくと、
五臓は気を貯めておく役割を持ち、
六腑は物質の変化を促す場所という分担になっています。
テレビの健康法等では、
やれ納豆がいいとか、梅干しが血圧を下げるとか、
特定の食品の健康効果を宣伝しています。
しかし、東洋医療的な発想で言うと、
食べ物と内臓は対応しています。
たとえば、脾が弱い人と、肝が弱い人では求めるものが違うのです。
さらに言えば、弱いと言っても、程度があります。
極端に弱っている状態であれば、
食べるべきものの選択肢は狭まり、
回復につれて徐々に増えていきます。
たとえば肝が弱い場合、
弱っている状態では大豆製品や鶏がらスープが推奨されます。
特に投入は大豆製品の中でも摂取しやすく、
食欲がなくても飲むだけなのでおすすめです。
徐々に回復してくると、
ほうれん草やニラ、しじみ・あさり等の貝類、レバー、
しめじやえのき等のキノコ類等も選択肢に入ってきます。
このように、五臓六腑のどの臓器が弱いのか、
そのレベルはどのくらいであるかによって
選択すべき食べ物は変わってきます。
残念ながら万能薬のようなものはありません。
そして、現代人は体の声を聞くのが苦手です。
食事に関しては、特にその傾向が強いと言っていいでしょう。
人間の本能は数万年前のまま、
つまり飢餓を前提にしているためにカロリーや塩分を
過剰に欲求するというのは広く知られているところです。
認識と現実の間にズレがある上に、
化学調味料によって味覚も乱されています。
本来なら不要な刺激物が日常の中に入り込み、
もはや体に必要ない異物こそが身近になりました。
戦国時代には希少品で、庶民には手の届かなかった砂糖も、
コーラ一本で1日の摂取上限とされる30グラムを上回ります。
こうして体に不要なものが生活をおおった上、
畑の土に含まれるミネラル分や栄養は貧弱になり、
同じ野菜でもビタミンやミネラルは減っています。
カルシウム等を野菜から摂取するのは、
確実に昔よりも難しくなっているのです。
度重なる品種改良は美味しい野菜や果物を生みましたが、
滋養という面では多くの場合にマイナスになっています。
こうなってくると、
五臓六腑に染み渡るという感覚は、
現代人にとって縁が遠いものなのかもしれません。
少なくても、それが健康的な意味で、栄養が行き渡るという意味では。
健康番組を見てスーパーに走り、
何かの食品を摂取して元気になった気がしても、
それは単なるプラシーボ効果の可能性があります。
プラシーボだとしても、プラスに働くのならありはありですが。