苦手な患者さんはいますよね。
何かとクレームをつけてくる患者さんとか、自分の意見ばっかり押し付けてくる患者さんとか、仕事が嫌になる瞬間なんですけれども。
でもそんなときは昔から合言葉のようにしているキーワードがあるんです。
「病気が患者さんをそうさせている」ということなんですけれども、患者さんになった時点で心に余裕なんてなくなるというのは当たり前のことです。
普段は、健康な時は穏やかで優しかった人柄だって、病気になって死を意識しちゃった瞬間に職場の心配をして家族のこととか金銭面など、考えることは本当にいっぱいあると思います。
プラス、体は痛みで悲鳴を上げていると。
そして病院に入院すると、機械に囲まれたような環境も本当に良くないと思います。
社会で自立した立派だった人も入院した瞬間に、患者さんというレッテルが、ラベルが張られてしまうんですね。
看護師側はその人が背負ってこられたものや、経験してこられた背景を考えて対応すべきなんじゃないかなと思うんですけれども。
昔、入院中に一時的に認知症になっちゃったおばあちゃんがいました。
もともと骨折で入ってこられて、歳を取ると急な環境の変化に対応しきれなくなって一時的に認知症になることは多くあります。
退院するといつものその人に戻るということなんですけれども。
もちろん骨折していますのでこの患者さんはすべての介助が必要でした。
無事に認知症になりながらも退院されたんですけれども、退院後、外でたまたま出会ったんですが、その時見かけたら本当に別人のようできれいにお化粧して、ちょっとかわいらしい洋服も着ていて、入院していたころの患者さんからは全く想像つかないような感じになっていました。
見かけだけじゃなくて本当に顔も生き生きしていて、やっぱり病気と入院生活って長引けば長引くほど患者さんらしさを取り除いていっちゃうというか、変えていっちゃうというか。
あの時の憎まれ口もその時だけのものなんだろうなと思いました。
もう一つなんですけれども、「ひとの痛みは百年我慢できるけど自分の痛みは一秒たりとも考えられない、耐えられない」っていう言葉があります。
そんなものかなと思います、あとはどれくらい患者さんに共感できるか。
癌の痛みっていうのはすごく痛い、私も癌になったことはないんですけれども、ものすごく痛いと。
指を切った時も、小指の先とか切った時も痛いんですけれども、それは治る痛みであって、癌の痛みは本当に不安と絶望もついてくる。
そんな患者さんが、ちょっとくらい面倒なことを言っても良いんじゃないかな、なんてようやく最近は思えるようになってきました。
こんな風にちょっと偉そうなことを言っているんですけれども、新人の頃は退院指導を全くやる気がない患者さんに向かって泣きながら怒って「自分のことなのにどうして真面目にやらないんですか」なんて熱く訴えたりしていました。
いま考えてみると、患者さんに聞いてほしかったら患者さんが興味を持ってくれそうな、それなりに患者さんの個別性にあった指導をしたら良かったんだろうな、なんて思えるようになりましたけど。
いろいろダメなら合わない患者さんはいます。
所詮人間関係なので、もし上司に相談ができるのであれば受け持ちを変えてもらうように言ったりするのも手かなと思います。
実際私もしたことがあります。
逆に患者さんの方から訴えてくる場合もあるんですけれども、それも人間関係ということで、自分自身を否定されたわけではないので、落ち込む必要はないんじゃないかなと思います。