病院で働いていてぞっとした話

私自身、ぞっとした話というのはないんですけれども、ぞっとした話というか亡くなっていった患者さんと自分に繋がりみたいなものを感じた話で良いですかね。

その患者さんは自分が本当に新人看護師として病棟に配属した時からの長いおつきあいで、3年くらい出たり入ったり入退院を繰り返している患者さんだったんですけれども。

大きな手術をして一旦は退院して社会に復帰されたんですけれども、やっぱり再発をしてしまって戻ってきて、再手術をしてまた退院してまた戻ってきて、抗がん剤の治療をしてみたいな感じで、徐々に徐々に下降気味になっていって、最後は亡くなってしまったんですけれども。

私が受け持ちをしていた夜で、もうもしかしたらそろそろお迎えが来るのかなという時期だったんですけれども、私は夜勤が終わってお家に帰りました。

夜寝ていたんですけれども、なぜかふと目が覚めましてすごく嫌な予感というか、自分の病棟のほうに電話をなんとなく入れてみたんですけれども、「○○さん大丈夫かな」って事を聞いたら、「今ちょうど亡くなりました」ということをほかのスタッフから聞きました。

その患者さんが亡くなる前に私のところに来てくれたのかなという風に思ったんですけれども。

その時はぞっとしたというより嬉しかったですね、うれしさを感じました。

亡くなるおつらい時も私のことを考えて、天国に行く前に私のところによってくださったのかなと感じた話もありました。

友達に話すとぞっとするとか言われちゃうんですけれども、私にとっては繋がりを感じた良い話です。

友人の中には霊感の強い子とかもいますので、ぞっとする経験をしてる友達ナースはたくさんいます。

一人、NICUといって未熟児の赤ちゃんたちのICUですね、集中治療室に勤めていた看護師さんの話なんですけれども、本当にもう重篤でちょっとしたことで急変してそういう未熟児の子っていうのは亡くなったりしちゃうんですけれども、視えるということで「昨日亡くなった○○ちゃんが何番のベッドのベッドサイドに来てる

ということで、まだ小っちゃ過ぎて自分が天に召されたということを分かっていないような赤ちゃんたちもいるみたいですね。

そのこは顔からすべて視えると言っていましたけれども。

そういうのを聞くとちょっと怖いなと思っちゃうんですけれども、無事にと言うか安心して天国に行ってほしいね、なんていう話をよく友人のナースとしたりもしますね。

でもこういう死を意識した仕事をしていると、これは自分の性分なのかどうかわからないんですけれども、視えないものを信じるようになります。

死んだら終わりではない、そこで終わりではない、というかきっと魂が戻る場所があってまた生まれ変わって、生を受けるというようなことを信じるようになりました。

でも看護というのは科学よと、サイエンスなんですよということを看護学校時代に教わったんですけれども、すべて科学的根拠に基づいてケアの提供と技術の提供をするという。

どこに血管と神経が走っていて、血管だけで神経を避けて採血をするにはどうしたら良いかみたいなことなんですけれども。

なのでちょっと矛盾していますね。

でも見えるものだけしか信じられないというのはちょっと寂しいというか、人間関係なので見えるところは科学的根拠に基づいて、見えないところは信じて、っていうのが良いのかなと思います。